2015年7月6日月曜日

Training Camp in Hong Kong


計8日間の香港滞在で、月曜日〜土曜日までの6日間の練習に参加しました。
平日の3日間はFoilのレッスンとファイティング練習、残り2日間はEpeのレッスンとファイティング練習、土曜日はFoilの基礎練習とファイティング総当り戦というスケジュールでした。

Class A・Bの女子選手とのファイティング練習を毎日出来る環境というのは、かなり大きかったです。普段、日本では男子選手とのファイティング練習がほとんどなので、女子選手とのファイティングの感覚の大きな違いに最初はかなり戸惑いました。
男子選手もClass A・B問わず対戦相手になってもらいましたが、男子選手独特の戦略を生かせる部分も多々あり、いかに自分独自の技にアレンジし戦略として使えるかが今後の大きな課題です。

コーチとのレッスンにおいても、より実践的な内容で距離感やタイミング、技の切り替えや身体の使い方など、選手をいかに能動的に動かすかに重点を置いたメニューで非常に勉強になりました。
常にファイティングを意識した内容で、ファイテイング練習で課題となった部分をレッスンで徹底的に修正していくというスタイルです。
基本的にレッスンは1時間以内、その後にファイテイング練習が2〜3時間程という組み方でした。
レッスン内容をいかにファイテイングに生かすことが出来るか、レッスン後すぐに実践練習に移るので内容が繋がりやすい流れになっていました。


技術面の指導において、香港と日本では様々な部分で大きな違いがあり滞在中も帰国後も正直なところ戸惑いや迷いが生じています。
しかしながら、向こうでも言われたようにどの戦略を使うか最終的には、第一線で戦う選手自身が選択し自分のものにしなければいけません。
そのためにはまず、出来るだけ多くの人からの技術指導を体感し、選択肢を拡げ、自分の特性に合ったスタイルを自身で追求していくべきだという意見に凄く納得がいきました。
ただ、選択肢が拡がる分、多くの情報を取捨選択し整理していく“選択と集中”という作業を常にしていかなければいけません。
それは今後ずっと向き合うべき課題だと思います。勝負の世界にいる以上は当然のことだと思います。

これらを踏まえ、明後日から初戦となるWorld Cupで世界レベルを体感して来たいと思います。
今回このような非常に貴重な経験をさせて頂き、香港代表チームの監督、コーチ陣、選手の皆さん、日本チームのスタッフ陣には感謝しております。


櫻井 杏理

2015年6月10日水曜日

香港武者修行レポート 

櫻井杏理選手
6月7日から14日まで香港での武者修行中
レポートが届いています

滞在先のHong Kong Sports Institute
10階建ての立派なdormitoryです

食堂、機内食を食した以来だったので
張り切って朝食を摂りに向かうと
フライングだと言われ30分待ちました


敷地内の全ての歩道はスパイクでも移動できるように
タータンが敷かれています


朝食後はまず散歩に
すぐ傍に流れている川添いをひたすら真っすぐ


香港は歩道・自転車道は完全に分離されていて
安全が確保されてます


地面に埋め込まれた標識の意味 “この歩道は馬も通ります”
 Instituteの裏は馬の厩舎で朝は馬が調教師と散歩してます


この鳥かごを持ったおじちゃんと30分ほど
一緒にお喋りしながら散歩してました
(この方が標識の意味を教えてくれました)
鳥も広東語で何か話してました。


MTRの駅までは強烈な勾配の歩道橋を登ります


電車に乗って2駅先のKowloon Tong(九龍島)へ
慣れない異国の地でもどうにかなるものです


忘れ物を調達しにショッピングモールへ
Patagonia Kowloon Tong storeにも立ち寄り
温かく迎え入れてくれました


帰って一休みしてから本業の練習へ


健常のフェンシング12ピストと車いすフェンシング8ピストが
共存するフェンシングホールで練習です

初日は18:00-22:20まで練習しました。約1時間、Kiコーチにレッスンをとってもらった後、3時間ひたすらフルーレのファイティング練習。女子のカテゴリAの選手2人、カテゴリBの選手1人の計3人と対戦しました。

女子車いすフェンサーとのファイティング練習は年末のGrand Prixの時以来だったので、まずは男女の動きの違いや体格上、男子と比べて圧倒的に有効面積が狭いという条件の違いに慣れるのに必死でした。

対戦後は選手一人一人や女子のコーチ、審判をしていた他の選手やKiコーチからフィードバックしてもらっています。やはりファイティングでは体幹のぶれが大きく出てしまうことが一番の問題です。

2015年5月7日木曜日

World Cup, Montreal (CAN) 遠征報告

藤田道宣

4月28日~5月5日
試合日5月1~3日

初日 (移動)
4月28日14:30に伊丹を出て、成田〜JFケネディ(アメリカ)〜モントリオールでモントリオールに着いたのが現地時間の22:30。ホテルに着いたのが24時すぎでした。

二日目
今回はいつもより1日早く現地入りしたので、今日がアライバルデイです。昼から時差ボケと戦いながら市街地を観光。夕方ホテルに戻ると徐々に各国チームが到着してました。

三日目 (武器検査、監督会議)
日本チームの武器、車いす検査時間は、13:30からホテル内での検査でした。特に問題はなく、10分程度で終わりました。


車いすフェンシングの大会での武器検査は、ホテル内で行う場合と、試合会場で行う場合があります。ホテル内で行う場合は試合会場に行く手間がはぶける一方、前日練習や試合会場の下見はできません。個人的には、国によってピストの重さなど感覚が違うので、前日練習で見ておきたいところではあります。

4日目 (男子フルーレ、女子エペ)
男子フルーレカテゴリーBの予選は13:30から。午前中ウォーミングアップを行い、男子フルーレカテゴリーAの試合を観戦、早めのランチを済ませ12:30くらいからもう一度ウォーミングアップを行いました。
結果は、予選20位のギリギリ通過で本線一回戦でロシアのKUZYUKOV選手に負けました。やはりとりあえず予選の順位を上げて一回戦、二回戦では上がり順位の下の選手と当たらないと上には上がれないなと感じました。

カナダのフランス語圏モントリオール、日本はJapon
5日目(男子エペ、女子フルーレ)
前日と同じく男子エペカテゴリーBの予選は13:30から。予選3勝3敗14位通過でした。本線一回戦でイギリスの選手に5-1で勝ち(15本勝負)、二回戦で中国のHU選手に6-15で敗れました。彼とは去年の仁川アジアパラトーナメント一回戦で当たってましたが、今回も勝てませんでした。左利きの相手に対する苦手意識をどうにか払拭わなければならないと感じる試合でした。


6日目 (男女サーブル、団体戦)
試合観戦の日です。
団体戦は1大会で男女一種目ずつ開催されます。今回は男子フルーレ、女子エペ。ルールは健常者フェンシングと同じく3人対3人45本リレー方式ですが、チーム内に1人以上カテゴリーBの選手を入れなければなりません。個人戦では当たることのないAとBの選手が戦うため、Bの選手にとってはチームの足を引っ張ってしまってるように見えるのは仕方がないものです。団体戦もカテゴリーオープンではなくて、カテゴリーAとBで別に行ったほうが競技人口的にもルール的にもいいのでは?と思っている次第です。

7日間 (帰国)
早朝4時過ぎにホテルを出ました。空港で大会側が運んでくれてるはずの競技用車いすが無く、少しわちゃわちゃしましたが、何とか手元に戻ってきて、一安心。と思いきや、乗る予定の飛行機が整備不良でフライトキャンセルとなり、急遽1時間早く出るダラス行きの飛行機に乗ることに。乗り換え時間も1時間しか無かったりと色々ハプニングもありましたが、なんとか帰国することができました。



今回、カナダでの試合は初めてだったため、移動の疲れや時差ボケなどの心配もありましたが、普段より1日早く現地に入ってコンディションを整えれる時間に余裕を作っておいたのは正解だったかと思います。試合は、なかなかフルーレで結果が残せないのが悔しいですが、毎回試合に出ると学ぶことも多く、今回も学びや発見は多々ありました。次のピサに向けて頑張りたいと思います。



2015年4月25日土曜日

考えるよりも、まずはやれ!

櫻井杏理

春を迎え、年末以来2度の強化合宿を経験しました。初めて参加した年末の強化合宿では一つ一つの動きを掴むのに必死で、その動きを何とか真似ることだけに全てを注いでいた気がします。技にはこれだけの豊富なレパートリーが存在するということに圧倒されました。“気が付けば終わっていた―” 今振り返ってみても、初めての強化合宿はその一言に尽きると思います。
基礎練習の繰り返しが続きます

その後の冬季の練習では、強化合宿で詰め込んだ動き一つ一つに焦点を当てていきました。動かすタイミングや動きのスピードを確認し、ひたすらそれを繰り返す反復練習の積み重ねです。動きを頭で理論的に捉えて咀嚼しようとするよりも、まずは自身の身体でタイミングやスピードを体感することが最優先事項という共通認識が監督との間にありました。視覚・聴覚・触覚を研ぎ澄まし、身体が反射的に反応出来るようになるまではとにかく何度も繰り返す。それだけでも相当な時間を費やしていると思います。少しずつその感覚を掴み始めると、運動力学的な理論的解釈は不思議と深まっていました。“考えすぎるな!考えるよりも、まずはやれ!” 耳にタコができそうなくらい聞いてきた監督のこの言葉の真意に触れた瞬間でした。

春の強化合宿風景

そして迎えた春の強化合宿。レッスンを通して世界一の剣術の持ち主である香港のFung Ying Kiコーチと再び剣を合わせた時、完全に意表を突かれた気がしました。トップレベルの剣捌きやスピードを目の前にし、あることに気付かされたからです。

動きや流れを掴むだけで必死だった前回の経験から反復練習を重ね、一つ一つの動きやスピードを意識してきました。しかしながら、あくまで前回と比較すれば変化したとはいえ、本当の意味で “できるようになったこと”と胸を張って言えることは未だ何一つなかったのです。その気付きが、今回の合宿での最初で最大の収穫だったと思います。決して自信喪失などということではなく、その観点を競技生活でいかに維持することが出来るかが大きな鍵になると捉えているからです。

勝負の世界で生きる以上、戦いに勝利した時から初めて“出来ること”と“出来ないこと”が共存し始める気がしています。そのためには日々の練習の中で“何が、どうして出来ないのか”を自身で明確にしておかなければいけません。

この気付きを得た瞬間から、“気付けば終わっていた”という前回とは大きく異なり、一日が終わる度に “あと○日しかない” と残された時間の中で、世界一の技を体感し何か一つでも多くのことを吸収したいという捉え方に変化していました。そして、剣捌きのスピード感がまだ全く足りていないということ、レッスンでの動きをファイティング練習で生かしきれていないこと、コンスタントなパフォーマンスレベルを発揮できていないこと、ミスした後でも貪欲に攻め込めていないことなど、解消すべき問題点や課題を明確にすることが出来ました。
Kiコーチの丁寧な指導を受けました
Kiコーチとファイティング練習

現在は、合宿で徹底的に行った基礎の反復練習を元に、より実践的な勝つための練習に移行しています。ここでも圧倒的なスピード感を身に付けることは勿論のこと、自身で流れを作り相手をリードすることに重点を置いて取り組んでいます。改善すべき問題点を繰り返し確認し、とにかく実践することで身体が反射的に反応出来るようにするというスタンスは現在も変わっていません。

“いかに自分自身と向き合うことが出来るか”が競技者にとって必須条件となるのはどの競技にも共通して言えることだと思います。勝つために、勝つことだけを考え、勝つための練習を積み重ね、勝つイメージを鮮明化させること。大きな目標を掲げているからこそ、そこに到達するためには何をすべきか、短期目標やスケジュールを含めた綿密なプランニングを行い士気を高めていくことは、今の私にとって急務です。目標到達に向かって課題を細分化し、目的を持った上で日々の練習に取り組んでいきたいと思います。
 

しかし、“考えすぎるな!考えるよりも、まずはやれ!”はいかなる状況においても忘れてはいけない普遍的なテーマです。

強化合宿中、NHKの取材を受けました

2014年12月9日火曜日

ひよっこフェンサー 激動の二ヶ月

櫻井 杏理(さくらいあんり)

車いすフェンサーとして剣を握り始めて約2ヶ月が経過しました。まだ2ヶ月しか経っていないことに違和感を抱く位、私にとって激動の2ヶ月間でした。

車いすフェンシングとの出逢いは、ある日突然訪れました。その頃まさに、オールシーズン通して取り組めるスポーツを探していました。海へサーフィンに出掛けるのも、雪山へスキーに出掛けるのも、健常者としか行ったことがなかった自分にとって、障害者スポーツという世界に興味は凄くありました。

10月12日 初体験の日そんな中、声を掛けて頂き、迷うことなく挑戦してみようと決心しました。しかし、小中高と陸上競技しかしてこなかった私は、フェンシングどころか、対面競技さえ初めてで何もかもが未知の経験です。初めて練習見学に訪れ、目の前で迫力ある動きを目にし、自分の手で初めて剣を握った間、“このスポーツと向き合ってみたい”という素直な想いが芽生えました。

しかしながら、“挑戦してみたい”という初めに抱いた気持ちは、不思議なもので、練習を重ねるごとに“もっと上手くなりたい”という想いに、いつのまにかそれは“勝ちたい、強くなりたい”と変化していきました。車いす生活になってからずっと心の奥底に封じ込めていた“競争心”というのものが、殻を破り、再び湧き上がってきていることを自覚し始めました。どうせもうみんなと同じ土俵には立てない、と挑戦する前から諦めることで平静を装っていた5年の月日が一瞬にして揺れ動き出したのです。
11月1日 ユニフォームを着て練習スタート
とは言え、まだまだ知らないことばかりの世界で、日々の練習は発見と学びの連続です。難しい剣さばきに身体と頭は付いていくのに必死ですが、こうしてまた一つのことに打ち込むことが出来る喜びを感じています。

それと同時に、車いすフェンシングチームには、言葉では上手く言い表すことの出来ない“居心地の良さ”というものを実感しています。障害を負うまでのプロセスも、障害を抱えた今の姿も全てひっくるめて受け入れて下さった、第二の家族が出来たような気がしています。背伸びすることなく、卑下することもなく、等身大の自分で居られる場所だからです。

車いすフェンシングとの出逢いは、自身を取り巻く環境のみならず、スポーツに対する想い、人に対する想い、自身の障害と向き合う姿勢など多くの側面をめまぐるしく変化させたのです。ある日突然訪れた出逢いにより、点と点が線になり、その線が新たな軌跡を描き出しました。

いつも温かなサポートをして下さっている、車いすフェンシングチームの皆さんは勿論のこと、私自身の家族、友人、職場の同僚たち… そして、座位が安定せず車いすにまともに座っていることさえ出来なかった私がこうしてスポーツに挑めるまで、ずっと寄り添って心身共に支えてきて下さったリハビリの担当セラピストには心から感謝しています。この感謝の気持ちを常に忘れず、車いすフェンサーとして結果を出すことで恩返しをしていけたら本望です。
12月7日 NHKハートスポーツフェスタにて

こんなまだまだひよっこフェンサーですが、これからも御指導・応援を宜しくお願い致します。







Fencer’s Blog by Anri Sakurai
2014.12.9

It has now been about two months since I first held a sword as a wheelchair fencer.  For me, these two months have brought about such drastic changes that it seems odd that only two months have passed.

Wheelchair fencing entered my life suddenly and unexpectedly.  At that time, I was looking for a sport that I could participate in year round.  Since I could only participate in surfing at the beach or skiing at the mountains accompanied by a non-handicapped person, I was very interested in the world of adapted sports.

It was during that time that I was approached, and without question, decided to face the challenge.  However, since I had only been involved with track and field through high school, fencing, let alone one-on-one competition, was a complete unknown to me.

When I first visited a practice and saw for myself the powerful movements, and when I held a sword in my own hand for the first time, I was overcome with a sincere desire to try this sport, head on.

However, the more I practiced, this initial feeling of wanting to “try” the sport became a feeling of wanting to “improve” in the sport.  At some point, that feeling had morphed into a feeling of wanting to “win,” to “become stronger.”

I began to realize that my competitive spirit that had been buried deep within ever since I became wheelchair bound had been reignited.  The five years I had spent maintaining a calm façade by giving up even before trying anything, believing that I could no longer compete at the same level as everyone else, had now been wiped away in an instant.

Having said that, however, the world of wheelchair fencing remains an unfamiliar one and there is still so much to be learned, and each practice brings about new discoveries.

It is very challenging for my body and mind to keep in step with the complex movements of the sword, but the true joy has come from once again being able to throw myself into something so wholly.

In addition, the wheelchair fencing team has provided me with a level of comfort that I can hardly put into words.  It feels as though I now have a second family that has accepted me for not only who I am with my physical limitations, but as a whole person including the process that led to my disability.  This is a place that allows me to be myself, without having to overreach or self-depreciate.

Having wheelchair fencing become a part of my life has not only changed my immediate surroundings, but has brought about significant changes to my feelings towards sports, my feelings towards other people, and my attitude towards my own disability.  A chance encounter has filled in the blanks and opened up new paths for me.

I would like to express my gratitude toward those that provide me with support including the wheelchair fencing team, my family, friends, and coworkers.

I would also like to sincerely thank my physical therapist that supported me, both physically and emotionally, from a time when I could barely sit up properly in a wheelchair to now, when I am once again able to challenge myself athletically.

It is my wish and my goal to give back to those to whom I am grateful by training to become a successful wheelchair fencer, and will always move forward with this sense of gratitude in my heart.

I am still just a “newbie” fencer, but your support and guidance is greatly appreciated.
Translated by Suki Harada

2014年10月26日日曜日

アジアパラ仁川大会報告 加納慎太郎

今回の目的は、上位を目指し参加させて頂きました、具体的には優勝する気概で挑みました。最低でもベスト8を目標としていました。

 実際に大会に出場を経験したところ、外国の選手は体が大きくリーチがあり懐が深くテクニック、レパートリーも豊富、スピード、パワー経験値ともにレベルが高かったです。
 とはいえ、フルーレでは予選敗退、エペではベスト16と不本意な結果となった事に関しては自己フィードバックをおこない次の大会で結果を出したいと思います。






具体的な内容としては、サウスポーの選手が数名いて対処に困ったため、あらゆることを想定し練習を積み、大会では動揺することがないように努めたいと思います。また、リーチ差がある事が多いのでその差を埋める守備攻防のテクニックを磨く必要があります。
 今の自分に必要な事は基礎的な技術力です。このことを真摯に受け止め素直にレッスンをうけたいと思います。


世界のレベルを知るという点ではよい経験ができたと感じています。

アジアパラ仁川大会報告 藤田道宣

韓国で行われましたアジアパラリンピック仁川大会から帰国しました。結果はベスト8、2回戦敗退です。今回の大会はベスト4以上を目標としていただけにとても悔しい結果となりました。



2回戦で対戦したIPAQのALI選手は予選1位通過でしたが、予選でも対戦し、試合直前も相手の試合のビデオを見て、得意な技や弱点をイメージして試合にのぞみましたが、10点を過ぎたあたりからアタックも単調になってしまい逆転負けしてしまいました。

試合前に調節する距離も予選の時より少し遠めで相手の戦いやすい距離をとられてしまったところも敗因かと思います。

車いすフェンシングでは、試合前の距離の駆け引きも勝敗のカギとなるので、今後の課題とします。

今大会でも多くの方々に多大なサポートをいただきましたが、結果を残せなかったことを申し訳なく思います。

2年後の2016年リオ五輪出場に向けて12月の香港大会また、来年のワールドカップで結果が残せるよう頑張りますので、今後ともサポート、応援よろしくお願いします。
 藤田道宣